時代はさかのぼって、中学生時代のお話になります。
その頃の私は、バレー部に入部していました。自己紹介でお話した通り、ちょうどバンド活動も始めたころです。担当パートはボーカルでした。でも、ギターも弾いていましたよ(笑)
夏休みはというと、家業の手伝いをしており、モルタルを練ったり重たいバケツを運んだりして過ごしていました。
その後、地元の進学校に入学し、中学同様にバレー部に入部。バンドも継続しながら、指定校推薦で早々に大学を決めました。
そして、いよいよ大学進学のため、関東に上京します。
大学生になった私は、学業やサークル活動はもちろんのこと、バンドも継続しながらアルバイトも開始したため、忙しくも充実した日々を過ごしていました。
このころの私は好奇心が旺盛で色々なことに挑戦してみたかったので、沢山の仕事を経験いたしました。
カラオケ店のスタッフ、解体作業、正社員募集をしていた工務店に直接行って、アルバイトとして雇ってもらったこともあります。不思議なもので、現在、私は同じような内容の仕事をしています。当時は、そんなことなど全く気づかなかったですが(笑)。他には、酒屋やレストラン、実演販売の仕事にコンビニのスタッフもしました。
一番印象に残っているのは、酒屋でのアルバイトです。
3年生のときに雇っていただいたのですが、当時の先輩によく「苦手なことをやれ!」と言われました。この言葉がきっかけで、私は「弱点をなくし、どんなことを頼まれても対応できるようにするぞ!」と思えることができるようになりました。その後、苦手なことでも積極的にチャレンジするようになりました。今でも私の中で大事にしている言葉となっています。
その後、レストランのアルバイトを経て実演販売の会社で働くことになるのですが、自分の中で違和感を感じた私は、その後の人生について深く考え始めます。
『このまま関東でこの仕事を続けてもいいのだろうか…? いや、もっと自分に正直に生きられる場所があるんじゃないか…?』と自問自答を繰り返していた頃、親父から1本の電話がありました。そして、初めて実家の事業が経営難になっていることを知らされます。
悩んだ私は、自分の生きる道を津山と決め、地元にUターンすることを決めました。
母からみた日下工業