まずは「くさか」に相談しんさい
K.Kusaka

日下康二ともうします

⽇下⼯業は、新築・リフォーム・エクステリアなど、くらしに関することを⽣業としております。
お家のかかりつけ医のような存在であり続けるため、お客様からいただく「ありがとう!」の⾔葉を励みに⽇々挑戦し続けています。

先代「⽇下 康⼆」は、1977年の津⼭⽣まれの津⼭育ち。
中学⽣のころにバンド活動を始めて以来、⾳楽がライフワークの⼀部となり、ボーカル、ギター、ベースのどれでもできる器⽤な⼈間でした。

⾼校⽣まで津⼭で過ごした先代は、⼤学進学のために⼀旦は地元を離れ上京。
⼤学時代は⾊々なことに興味があり、沢⼭の仕事を経験をしました。中でも酒屋で働いた際に出会った先輩が教えてくださったことは、先代の考え⽅に⼤きく影響を及ぼしたとか。

振り返れば、無駄になる経験は何ひとつなく、全て今の自分を形成してくれたものだと感じていると。

幼少期
小学生時代
K.Kusaka

色々やってきました

時代はさかのぼって、中学生時代のお話になります。
その頃の私は、バレー部に入部していました。自己紹介でお話した通り、ちょうどバンド活動も始めたころです。担当パートはボーカルでした。でも、ギターも弾いていましたよ(笑)
夏休みはというと、家業の手伝いをしており、モルタルを練ったり重たいバケツを運んだりして過ごしていました。
その後、地元の進学校に入学し、中学同様にバレー部に入部。バンドも継続しながら、指定校推薦で早々に大学を決めました。
そして、いよいよ大学進学のため、関東に上京します。

大学生になった私は、学業やサークル活動はもちろんのこと、バンドも継続しながらアルバイトも開始したため、忙しくも充実した日々を過ごしていました。

このころの私は好奇心が旺盛で色々なことに挑戦してみたかったので、沢山の仕事を経験いたしました。
カラオケ店のスタッフ、解体作業、正社員募集をしていた工務店に直接行って、アルバイトとして雇ってもらったこともあります。不思議なもので、現在、私は同じような内容の仕事をしています。当時は、そんなことなど全く気づかなかったですが(笑)。他には、酒屋やレストラン、実演販売の仕事にコンビニのスタッフもしました。

一番印象に残っているのは、酒屋でのアルバイトです。
3年生のときに雇っていただいたのですが、当時の先輩によく「苦手なことをやれ!」と言われました。この言葉がきっかけで、私は「弱点をなくし、どんなことを頼まれても対応できるようにするぞ!」と思えることができるようになりました。その後、苦手なことでも積極的にチャレンジするようになりました。今でも私の中で大事にしている言葉となっています。

その後、レストランのアルバイトを経て実演販売の会社で働くことになるのですが、自分の中で違和感を感じた私は、その後の人生について深く考え始めます。
『このまま関東でこの仕事を続けてもいいのだろうか…? いや、もっと自分に正直に生きられる場所があるんじゃないか…?』と自問自答を繰り返していた頃、親父から1本の電話がありました。そして、初めて実家の事業が経営難になっていることを知らされます。
悩んだ私は、自分の生きる道を津山と決め、地元にUターンすることを決めました。

K.Kusaka年表
K.Kusaka

津山にUターンして

津山にUターンして感じたことは、自分の地元であり愛着心があるからこそ、100%の力を出し切れるということです。だから今は、素直な気持ちで仕事ができています。そんな津山に帰ってきて、本当によかったな~と心から感じています。

そして、なんといっても日下工業が衣食住に関わらせてもらうことで、お客様の生活が充実し満足していただけることです。長年、親父はお客様のためを思って経営をしてきました。ありがたいことに、お客様の中には親父の代から世代をまたいで関わらせて頂いてる方も多くいらっしゃいます。

そんなお客様に慕われていた親父ですが、実は私とほとんど話すことはない人でした。

K.Kusaka

親父への想い

親父は職人であり、お客様のことを第一に考えていた人です。創業から約40年、家業を継続してきたことが最大の親父のすごいところです。

私は津山にUターンしてから10年ぐらい、修業の時期があります。親父は寡黙で、人に物ごとを教えることが上手ではありませんでした。いわゆる職人気質なため、あまり指示がなく、仕事は『見て盗め』精神で苦労したこともありましたが、『お客様のために』と仕事に取り組む親父の姿勢をみて多くの事を学びました。
しかし、時代の流れの中で自らの感覚が及ばない部分が出てきたと悟った時、スパッと仕事から手を引いたのです。その親父の判断力と決断力は、すごく尊敬しています。

また、親父には家業とは別に警察犬訓練士もしておりました。犬が大好きだった親父は、犬のための小屋など家業と組み合わせた事業展開も始めていました。今思えば、このことが親父にとって、考え方も含めてリフレッシュになっていたんじゃないかと思います。
私にとっては、それが音楽です。親父が警察犬訓練士を続けたように、私は今も音楽を続けています。自分のできることを好きでやっているところが、親父の仕事に対する想いと一緒なんだ!と日々感じています。

そんな日下工業だからこそ、できることがあります。

△先代社長の父

△先代社長の父が手掛けた犬舎

母からみた日下工業

▼母より日下工業について
商売はもちろん大事ですが、信頼を大切にやってきたと思っています。仕事に対しては真剣に向き合いお客様のためにと、頑張ってきました。先代の時代は、地域や協力業者の生活を守り、貢献することを大事にしていました。ですから経理的には大変だったですね。これからは人材の活性化に力を注いでいきたいですね。
▼母からみた息子
年配の家に伺うと、後から「良い息子さんですね」とご連絡をくださいます。先代は職人肌で現場一筋でしたので、色々な方とのコミュニケーションは代替わりで変わったところだと思います。難しい顔をしている時もありますが、朗らかにいることを大事にしているようです。社内の雰囲気も変わってきたように思います。
K.Kusaka

日下工業だからできること

新築・エクステリア、そしてリフォームと、お客様の様々なシーンに関わらせていただき約50年が経ちました。単なる施工件数ではなく、施工後10年や20年を見据えて取り組ませていただいている弊社だからこそできること。それは、建てたお家にずっと寄り添っていくことです。

お家は大切な人のように、そして日下工業はかかりつけのお医者さんのように、関わりを持ち続けさせていただいています。だからこそ、お客様からいただく要望の大小に関わらず、未来を見据えた最適な方法を提案させていただいています。

新築の時から見守り続けれるからこそ、今のお家にどういうケアが必要かが分かります。
長年培ってきた経験と現代の高気密・高断熱の技術と組み合わせ、あなたの人生とともに歩むことができる、素敵なお家づくりをお手伝いさせていただければと思います。

まずは「くさか」に相談しんさい